[母乳小説]
| 著作/松谷徳盛 |
第二話・『夕食のお礼』
| 〈美田内彩花〉 今日の夕食はビーフシチュウを作ることにした。 夫の好物を作るのは久しぶりだったが、幸助から毎朝の食事の感想を聞く限りでは夫と同じ好みのようだったので作ることにした。独り暮らしの幸助には作り置きがきくものがいいだろうと思ったのだ。 何よりも搾乳の辛さで色々と支障をきたす今、まとめて沢山の量を作れるというメリットがあった。 あれから幸助を送り出した後に無理やりの搾乳を敢行した。 搾乳ビンに半分近くの母乳を搾り出すことができたものの、まだ胸元にはすっきりしない"溜まり"感を抱えたままだ。 夕方前にも意を決して母乳を無理やり搾り出した朝夕と決して多いとはいえない母乳を息子はおいしそうに飲んでくれて、ささやかな母としての充足感を得られたがそれもつかの間だった。 息子に必要な栄養を与えるためには僅かに残った母乳を粉ミルクに薄めなければならない。 息子は満足いくまで彩花の母乳を口にできないまま哺乳瓶を取り上げられると当然のごとく泣き喚いた。純粋に空腹を訴える泣き声は不当な母の扱いを責め立てているようで彩花の胸を締め付けるのだった。 こうして幸助の夕食に腕をふるうのは息子には申し訳ないが、満たされぬ母性感情と自責の念から目を反らせる大事なひと時であった。 「これじゃ現実逃避ね…」 母乳の出の悪いことに心身ともにストレスを溜めつつある彩花を気遣って母親や友人はストレス発散にと色々と気を使ってくれている。 「うん、おいしい・・・」 シチューの味見を終えると彩花はテーブルの上に目を向けた。 そこには高校時代の同輩ママが誘ってくれたママさんバレーの案内のプリントがあった。 魅力的な誘いではあったがぱんぱんに張り詰めた胸を抱えての激しい動きは想像を絶する荒行にほかならない。 ただバレーボールへと思いを巡らせると昨日のことのように高校時代を懐かしめた。 思い出してみると昔から筋肉痛とは縁があった。自分が中学・高校と駆け抜けた青春は女子バレーの部活と筋肉痛といっても差し支えないくらいだ。 若さに任せて無理を重ねるたびに世話になったのが幸助の祖父が営む接骨院だった。 目の悪い幸助の祖父は文字通り手探りの状態で整体をしていたわけだが、人の体に触れるその手は見事なまでにコリをほぐし歪みを整えてくれたものだった。 (あの人こそ本当に整体の名人だったわね…) 思い耽りながらビーフシチュウをタッパに入れると簡単に作った惣菜も同じようにつめていく。 「さて、できあがりっと」 全ての料理を容器に詰め終えると朱美は肩を叩きながら首をまわした。 (けっこう肩の方まで張ってきちゃった…) あとは幸助の自宅まで届けるだけだ。作業にひと区切りつけると彩花は胸にそっと手を当てた。無理やりの搾乳で得られた安息のひと時がまるで潮が満ちていくように不安と供に鈍い張り心地で満たされ始めていた。 (寝る前にまた搾乳ね…) 気が滅入る思いもしたが乳の出の悪さにはいい加減に慣れないといけなかった。それがどんなに苦痛であったとしても微熱にも似た火照りと張りを体に抱えたまま安眠はできない。 全ての準備が整うと彩花はエプロンの紐を回そうと腰に手を回した。 途端に鎖骨付近からなだらかに豊かな丘陵を描く胸元がみしりと痛んだ。 〈槌田幸助〉 幸助は家に帰り着くと見慣れた人影と出くわした。見覚えのある黄色いエプロンにすぐに彩花とわかった。 「彩花さん」 声をかけると彩花は朝に送り出してくれたように口元をほころばせる。 「あら幸助君。今日は早かったのね」 「はい」 幸助は照れるように鼻をかいた。いつも入れ替わりで彩花はドアの傍に夕食を置いて帰るのだが、ここ最近は仕事が終わったら寄り道もせずに帰路につくことにしていた。以前ならコンビニ弁当を買ってしまえばあとは食べて寝るだけだったが彩花の毎晩の訪問にあわせるように帰宅を急がせるのが幸助の密かな楽しみでもあった。 「ちょうどよかったわ。今日はビーフシチューなの」 大きめのタッパウェアから美味しそうな匂いが漂よい空腹のよじれに拍車をかける。そして彩花は更に思ってもいなかった言葉を口にしてくれた。 「台所少し借りてもいいかしら。暖めるだけなんど、ついでだから簡単なものも作れるし」 「え?そんな悪いですよ」 そうは言いながらも思わぬ彩花の言葉に幸助の心は躍った。少し顔をあわせて話ができる程度で満足するつもりだった。職場以外での人との会話にも飢えていたし、相手が自分の事をしっている女性であるなら、それだけで充分だった。 何よりも家庭を持った若い主婦を夕方引き止めるほどの会話も見出せそうにもない。 本音とは間逆のことを言いながらもこれ以上の甘えに躊躇してしまうのも確かだった。 「気にしなくてもいいのよ」 しかし短い押し問答も彩花に押し切られる結果となった。 こうして夕食を運んでくれる時のやりとりもそうであったが、やはり"母は強し"というのはこのことなのだろうか、彩花の有無を言わせぬ会話の持っていき方ははなんとも押しがある。 「遠慮なんてしないでもいいのよ。それとも何かな?彼女とかいるならやめとくけど?」 不意に悪戯っぽい笑みを浮かべた彩花に幸助はたじろいだ。 「い・いませんよ、そんなの!!」 その笑みは、彩花がよく幸助をからかうときに浮かべたものだった。母とも姉ともつかぬ安らぎを覚えながらも、純粋に異性として幼い慕情を抱き幼稚な支配欲を抱いている事を見透かされたときの気恥ずかしさが蘇った。その笑みで覗き込まれると妙に悔しくもあり嬉しくもあった。 あの頃とまったく変わらない自分の反応にただ幸助は赤面するばかりだった。 玄関を開けて彩花を迎え入れると彼女はさっそく台所で夕食の準備に取り掛かってくれた。 「すぐに作るからその間にお風呂でもはいってらっしゃい」 てきぱきと準備をする彼女に従いその場を離れようとすると彩花が冷蔵庫の中をあけて検分しながらいった。 「冷蔵庫の中のもの使わせてもらうわね。折角だから簡単なものを何か作るわ」 「ありがとうございます。…じゃあお風呂はいってきますね」 誰かに世話を焼いてもらうという慣れない違和感に自然と幸助の風呂場へ向かう足取りは弾んだ。 風呂から上がれば夕食を整えてくれて自分を待っていてくれる女性がいる。 熱いシャワーを浴びると、自然と食事のときの会話を考えてしまう自分がいた。 食卓に着くと食卓には色とりどりのお惣菜と、食器に盛られたビーフシチューが幸助を迎えてくれた。 「わぁ…」 言葉もなく立ち尽くしてる幸助に気づいたのか食堂と台所を仕切る暖簾越しから彩花が声をかけた。 「あら早かったのね。ちょっと待ってて、今、野菜炒めできるから」 座って待っていると皿に盛られたできたての野菜炒めが目の前に運ばれた。それは自分以外の誰かによる生活のリズムを感じとれた光景だった。 「さ、召し上がれ」 「いただきます」 照れるように手を合わせて一口目を口にすると食を進める手は淀むことなく進んだ。 〈美田内彩花〉 美味しそうに夕食を食べる幸助を見ていると彩花はつい色々と構いたくなってしまった。 幸助の一挙一動に満たされぬ母性本能が刺激されてしまう。幼いころに両親を事故で亡くして、祖父と二人きりの幸助に対して欲求不満気味の母性本能が反応しないわけがなかった。 「本当、これじゃ現実逃避よね…」 「え?」 二杯目のビーフシチューを平らげる手をとめて見上げる幸助に彩花は苦笑した。 「ううん、なんでもないわ。ほら、口元汚れてるわよ」 そういってテーブルの上にあるティッシュに手を伸ばしかけたときだった。 胸元の張りから肩の裏側にまで連なったコリの痛みが電流のようにほとばしった。 「いた…いたた…」 呻くように胸を抱くように体をかがめる彩花に幸助はあわてて立ち上がった。 「ど・どうしたんですか!?」 「うん、なんでもない。大丈夫だから」 心配そうに自分を見つめる幸助に彩花は苦笑した。その実、我慢できぬほどの痛みが身動ぎひとつを容赦なく攻め立てる。 「大丈夫なんかじゃないですよ、顔色も悪いですし」 「ちょっと、肩凝っちゃって・・・」 肩の痛みもあったが決して"母乳で胸が張った"とは言えなかった。 子供が生まれる子と自体が恥ずかしいことではないとわかっていても、若い幸助を前に明け透けに胸の変調を口にすることはためらわれた。 幸助とは昔から近所のおねえさんとして接してきたし自分もオバサンくさく、くったくなく接すればよいものと思ってはいたが、折に触れてセックスアピールである胸について口にするとまだ若い女としての性意識が先立ってしまう。 「大丈夫だから、気にしないで」 肩どころか腫れ物のような張りを伺わせる両胸に気づかずにいたのは迂闊だった。 苦悶まじりに彩花は笑ってみせたが表情ひとつも引きつりそうになる。 「あの、だったら僕がほぐしますよ」 「え…でも…」 「いいから、いいから、こっちに来てください。マットがあるから」 腰の重い彩花の手をそっと幸助が引っ張った。意外にも包容力のある強引さに彼が大人になりつつある若者であることを感じさせられながら、幸助に促されて隣の和室に連れられた。 「さあ、どうぞ横になってください」 和室に広げられたマットレスはしわひとつない清潔なシーツに包まれていた。 「友達とか遊びに着たら練習でマッサージとかするんですよ」 寝心地のよさそうな厚めのマットレスを勧められ彩花は大人しく体を横たえた。 身動きひとつで悲鳴を上げる体を何とかマットの上に落ち着けると懐かしいマットの感触に包まれた。目を閉じると幸助の祖父がよくきたねと姿を現しそうな感じだ。 いつの間にか閉じられた襖が開いたかと思うと幸助が姿を現した。食事の後片付けを手早く済ませてきたようだ。 「じゃあ、ちょっと軽くほぐしましょうか」 畳に膝をつく音と共にそっと背中に大きく暖かい感触が背中に広がった。じんわりと懐かしい感触だった。力加減もほどよく硬くなった背中を無理なくマッサージしていく手付きから祖父の巧みな施術ぶりを孫の幸助がしっかりと受け継いでいる事がわかった。 「うわ、彩花さんスゴイこりだね。大変だったでしょう、ここなんかガチガチですよ」 頭の後ろで幸助の声がしたかと思うと、まさに凝りの中枢をとらえた箇所に無理のかからない程度で広い手のひら越しに体重がかけられた。 「ふ…うぅ…気持ちいい…」 この上なく気遣われた絶妙な感触に安堵のため息が漏れ出た。 母乳で張り詰めた両乳房から端を発した全身の筋肉痛が青年の手により嘘のように癒されていく。 その気持ちよさとは裏腹に体の凝りに話が触れられれば、自ずと両胸を満たしきる出の悪い母乳に話題が及ぶかもしれないという不安があった。エプロン越しにも分かる人より豊かな両胸に自覚もあったし、幼いころから知ってるとはいえ年頃の青年に今の苦痛を吐露するには滑稽でどことなく卑猥だ。 「あの、彩花さん…」 ふいに幸助に声をかけられハッとなった。いつの間にか曲げることさえ痛さでままならなかった首で振り返ると幸助が背中をさする手を止めて微笑みかけた。 「よかったらオイルマッサージしませんか?ちょうど肩こりに効くオイルを手に入れてきたんです」 かつて幸助の祖父が浮かべた安堵感をもたらす気遣いに満ちた笑みに思わず彩花は高校時代に戻ったような錯覚を覚えた。 「…オイルマッサージなんてできるの?」 「はい。背中をもっとほぐしこみたいんですがオイルを塗ったほうが指圧の加減ももっと滑らかにできるんです」 「そう、でも…」 口ごもりながらも彩花は思い悩んだ。 (オイルを使うって事は服を着たままじゃできないわよね…) 当然おもむろに肌を晒すことに若干の抵抗感を覚える。 (どうしようかしら…断ろうかしら…) そう思いもしたが、断り方を間違えれば不自然な空気になってしまいかねない。"また今度"と濁そうと考えもしたが、ここで幸助の申し出を断る事ははばかられる思いがした。 沈黙といえぬほどの瞬間、幸助を見やると彼も彩花の気持ちを察したようでバツの悪そうな表情を浮かべていた。 そんな幸助の好意を無駄にするのは胸を締め付けられた。何よりも率直なところ他人に揉んでもらうというのはこの上なく魅力的だった。それも幸助のあの祖父と遜色ない腕前によるオイルマッサージとなると尚のことだった。 「じゃあお願いしようかしら」 幸助の顔に邪気のない子供のような笑みが広がった。 (そうよね。相手は幸助くんだもの。何を変なことを考えていたのかしら) こんな誠実な青年を相手に幼い頃の付合いがあるにもかかわらず女の意識で警戒していた自分に彩花はげんこつを食らわしたい気分になった。 身体を起こすとひざを崩して背中を向ける。シャツのボタンに指を掻けた所で幸助も察したように腰を上げた。 「じゃあちょっと出ておきますね。準備ができたら言って下さい」 「うん、ちょっとデブ体型だから見苦しいかもしれないけど笑わないでね」 彩花が苦笑して幸助を見ると彼は照れたように笑った。その笑みにはまだ少年のようなあどけなさが残っていて彩花を少しばかり大胆にさせるのであった。 |
| <続く> |
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